今日も明日もJOJさんとか色々と

ジョン・オーウェン=ジョーンズさんをLove&Watchしてます。その他のネタも多し。

Bye-bye, again to 「RENT」/時代が変わってもジョナサン・ラーソンはこの作品の中にちゃんと生きている

9月に終わってしまう「RENT」。まだしつこく思い出してしまうネダーランダー劇場のあの熱狂。先日イーストヴィレッジを訪れたとき周囲の余りの変わり方に愕然として、そしてジョナサン・ラーソンがこの作品を描いた時代のニューヨークはもう完全になくなってしまったことを実感した。 ずっと前からわかっていたことなんだけど。
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
 
イーストヴィレッジのアスタープレイス。地下鉄6番の駅降りてすぐ。この周りは露天の古本売りやストリートミュージシャンや自作の作品を売ってるアーティストやら色んなひとがひしめいていて24時間にぎわっていた。数年ぶりにこの場所に来てみて唖然とした。ガラス張りのモダンなビルが建ってて、周囲は閑散としている。なるほど、マンハッタンの至る所でみかける再開発ね。OK。でもストランド書店はどこだったっけ?よく足を運んだあの古いビルの劇場は?なんだかぜんぜん知らない場所のようだ。かつてあんなに足を運んだのに。

初めてイーストヴィレッジに行ったのは確か1987年。その後、1989年の暮れにSOHOに移り住んだ。今とは全く違うニューヨークの街。1番街の向こう、アヴェニューAから始まるアルファベットシティやウイリアムズバーグに足を踏み入れたら殺されるから気をつけてね、とさらって言われてた。女子が一人で夜10時過ぎに地下鉄に乗るなんてありえなかった頃。

最初に行った時は友だちの友だちのアパートに泊めてもらった。レンガつくりの古いビルの3階。エレベーターはなかったけど暖炉があった。彼女の仲間もみんなヴィレッジに住んでいた。パティ・スミスがかつて住んでいたアパートもすぐ近くにあった。「RENT」をつくったジョナサン・ラーソンのアジトもすぐ近くにあったらしい。彼の実家はクイーンズだったので行き来していたのかもしれないけど。

当時は昼間は会社、夜は大学の講座に通っていたけど若かったこともあって本当によく出かけていた。マンハッタンにいることが嬉しくて家になんかいられなかった。大学が終わってからWヴィレッジのバーで待ち合わせてそのまま夜遊びに出かけるなんてしょっちゅうだった。昔チェースマンハッタン銀行だった古いビルにあるクラブが特に好きで大金庫の側でいろんなひとといろんな話をした。交友関係もあっという間に広がった。俳優やらダンサーやら絵描きやらウオール街の証券マンやらUPSの配達人やら親の遺産で暮らしてるひとやら留学生やらほんとにいろんなひとがいた。
 
「RENT」を初めて見に行ったときまず思った。「彼らを知っている」と。もちろん実際に知ってるわけじゃない。だけどあの舞台に登場しているキャラクターはあの時代のイーストヴィレッジにいっぱいいた。それは間違いない。エイズが猛威をふるっていた時代、死の影におびえていたひともいっぱいいたのだ。「RENT」はあの時代の空気まで見事に切り取って舞台の上で再現していた。