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「Priscilla」 reminds me of the legendary COPACABANA(The COPA)/1990s New Yorkの個人的な思い出ばなし

現在ロンドンWEとニューヨークBWで上演中の「Priscilla Queen of the Desert」。1994年に製作されたオーストラリア映画がもとになっており、映画のドラッグクイーンたちはそれぞれテレンス・スタンプヒューゴ・ウィーヴィングそしてガイ・ピアースが演じ、アカデミー衣装デザイン賞を受賞した。大ヒットにはならなかったけどある種のカルト的な人気を得るに至って、この映画のファンはたくさんいた。勿論私も大好きで、当時コドモが小さかったので映画館もそうそう行けなかったが必死で都合をつけて観に行ったのをよく覚えている。
 
その映画を元にオーストラリアの鬼才演出家Simon Phillips(AU版「Love Never Dies」も手がけてます)が同名のミュージカルに仕立て上げ、メルボルンを皮切りにシドニーオークランド(NZ)、ロンドン、トロントそして今年3月にブロードウェイにトランスファーされた。ベルナデットを演じたTony Sheldonはトニー賞にもノミネートされたので授賞式でご覧になった方もいるだろう。私は4月にBWで観て、涙流しながら笑って楽しんだ。終わったあと友だちと待ち合わせて普段行かないようなチェルシーのナイトクラブにお出かけしてわいわい盛り上がってしまったくらいで、「プリシラ」は本当に楽しい作品だ。使われている音楽もマドンナやシンディ・ローパ-ほか80年代にワカモノだったら誰でも知ってるようなナンバーが勢ぞろいしていて、そしてWil Swenson,Tony,Nick Adamusが演じるDIVAたち他の衣装やウイッグのカラフルさ、豪華さといったら女子なら絶対に楽しめること請け合いだ。
 
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現地でCD買うのをすっかり忘れていてつい最近入手したのだが、もう夢中になってしまって現在ヘビロテ中だ。曲を聴くたびにあのショウアップしたステージを思い出し、彼(女)らの熱唱が耳の奥に残る。そしてもうひとつ鮮明に思い出すのが1990年のニューヨークのナイトクラブ「COPACABANA」だ。ここにはホンモノのNYのドラッグクイーンたちが勢ぞろいしていた。プリシラの舞台に出てきたようなあんな衣装をまとったDQが大挙してステージ(というかお立ち台)で踊っていたのだ。客はゲイが殆どで大音響で音楽が流れるフロアは立錐の余地がないほどごった返しており、あちこちで情熱的なキス(男同士ね)やナンパ(男のね)が盛んに行われ、皆が大声でがなりたてていた。でも毎日じゃない。ある週末の決められた曜日のみ。それも誰もが入れたわけじゃない。ドナテッラ・ヴェルサーチそっくりの(本当に似ていた)プラチナブロンドおかっぱロングヘア(LADY GAGAみたいな)でタンクトップショートパンツのお姉さんが入口に並ぶ客をザンコクに選別していた。ドラッグクイーンたちが集まるコパカバーナはある意味「とくべつな場所」だったのだ。
 
ここからは個人的な思い出のはなし
 
「COPACABANA」は1940年創立の老舗のナイトクラブでハリーベラフォンテ、サミー・デイヴィス・JRやマーヴィン・ゲイといった大御所が出演していた。70年代にはディスコティックになり休業期間を経て場所を移転、今もタイムズスクエアで盛業中だ。ただし私がここに行っていた当時は創立当初と同じ5番街近くの東60丁目にあった。前年あれこれ恵まれていた東京での仕事を捨てて念願のニューヨーク生活をスタートさせていたが、東京並みに物価の高いニューヨーク。同じ会社のアメリカ人からSOHOの目抜き通りにあるアパートを引き継いだはいいけど給料の半分以上にもなる高い家賃に値をあげてしまい、ルームメイトを探して一緒に住むようになった。
 
トシも同じくらいでNY生活も長い彼女とすぐに意気投合して一緒にいろんなところに遊びに行った。当時からオペラもミュージカルは好きだったけどチケットが高いので余り行けなくてもっぱらオフBWやミニシアターやライヴハウスやナイトクラブに行っていた。徐々に人脈も広がり、ゲイの友人もできた。そして「とっておきの場所に連れて行ってあげる」と言われたのが「COPACABANA」だった。
 
ふだんは全くそんなことはないのだがDQナイトのThe COPAは客を厳しく選んだ。ドラッグクイーンは無条件でパス、ゲイも勿論OK(彼らにはネットワークがあるのですぐわかるらしい)。だけど女性はハードルが高い。入口で陣取るドナテッラ(仮名)がファッション、メイクを一瞥してイケテナイと判断されたらどんなにお願いしても、おカネを払っても決して入れてくれない。ドアを開けてもらった女性は得意そうに入っていき、入れてもらえなかったひとは悔しそうな顔で悪態をつきながら帰っていく。閑静なアッパーイーストサイドの一角で月に1,2回起きるそれは本当に面白かった。
 
当時はマドンナの「VOGUE」が大ヒットしていたが、友人の説によると「あれはもともとここでDQたちが踊っていたダンス」でマドンナが遊びにきたときにDQたちと一緒に踊っていた、とのことだった。 その後、私も仕事が忙しくなり、大学の夜間コースに通うようにもなったことやルームメイトの彼女が彼氏と住むことになって次第に疎遠になり、そうこうしているうちにDQナイトもなくなってしまった。NYもリセッションが進み、ゲイの友人たちも大挙してサンフランシスコに引っ越していってしまい、私も日本に帰った(93年にまたNYに戻ったけど)。
 
「Priscilla Queen of the Desert」の舞台を観た時、それまで思い出さなかった1990年のニューヨークの光景を鮮明に思い出した。すっかり安全になった今とは全く違う、「RENT」の舞台に象徴されるような、一歩外に出れば緊張感に包まれたニューヨークの街。その頃のほうがよかったとは決して言わないけれど、ホンモノのドラッグクイーンやその他の「異形のもの」が大手を振って歩いていた1990年の東60丁目は今でも決して忘れることができないほど魅力的な空間だった。