今日も明日もJOJさんとか色々と

ジョン・オーウェン=ジョーンズさんをLove&Watchしてます。その他のネタも多し。

10/16付WeDO ScotlandのJOJさんのInterview①/this is AWESOME! 徐々に粗訳入れます

オペラ座の怪人エジンバラ公演の最終日9月29日に行われたインタビューです。非常に素晴らしい内容です。もうすぐワシントンに着いちゃうのであとで粗訳入れます。これ読んでますますJOJさんが好きになりました。Broadway進出の件では思わず涙、涙。あのとき予定通りヴァルジャンを1年やっていれば、Greencard(米国永住権)を取っていれば、その後の状況も変わっていたでしょうに・・

もちろん現在だって評価は高いし、ファンも多いけれどこんなもんじゃ足りないです。JOJさんはもっともっと認められていいはず。アメリカでも世界のどこででも。


Q:初めてミュージカルの舞台に立ったのは何才のときですか?
 
最初は学校の演劇だね。今みたいにこの仕事で生計を立てるようになりたいとはそのときはまるで思ってなかったしたまたまやってみただけで。演劇の授業はとても楽しかったよ。スト―リーの一部を考えたりしてね。それが最初だったな。11才のときで警察官の役をやったんだ。
それから数年して「クリスマスキャロル」をやったんだそのときは歌わなくちゃいけなかったんだけど、全てのウェールズ人がそうであるように当然歌えるだろって思われてたからね。ボクは酔っぱらいの役をやったんだけどある日セットがカーテンの後ろから出ててころんじゃったんだ。で、家ごと壊しちゃったんだけどそれがとてもウケたんだよね。そしたら次の日から演出がそんなふうに変わったんだ。そんなふうにウケたことで、自分が演技することで観客を楽しませることができる、コントロールできる、ってことがわかったんだ。そしてユースシアターに入団したんだ。そこで最初にもらったのはミュージカルだったんだけど歌わない役だったよ。そのときは自分が歌えるなんて思ってなかった。みんなと一緒に適当に合わせてたんだけど、あるときキャバレーナイトがあってアンサンブルで歌うことになったんだ。そしたらディレクターがボクが歌うのを聞いて「君はソロパートをやってごらん」って言った。もちろん「えーそんなのいやです」って言ったけどね。だってボクは16才で、長髪だったし。ロックファンだったからね。でもディレクターは「この曲は君にぴったりだよ。ギルと一緒にデュエットできるんだから」そう、ギルはほんとに可愛い女の子だったし何と言っても曲の最後に彼女にキスできたんだよね。そのとき、ああ、将来こういう仕事ができるようになろう、って決心したんだ。以前は両親が営んでいた肉屋の仕事を同じようにやろうと思ってたよ。ボクの兄さんがお店を継いでるけど。ボクもよく手伝ったよ。手を血だらけにしてたし、ナイフで指を切ったこともあった。凄く大変な仕事だよ。今でも肉についてはちょっと詳しいんだ。

Q:ロンドンの演劇学校に入る決心をした理由はなんですか?

幾つかのチョイスがあったんだ。RADA、MountviewそしてThe Central School of Speech and Drama。だけどセントラルが一番いいと思った。RADAに行くべきだったのかもしれないけど(ハイソすぎて)ボクには合ってないように思った。でもセントラルの人たちとは凄く上手く行く気がしたんだよね。地に足が付いてて、ワーキングクラスの雰囲気もちゃんとあったし、さらにジュディ・ディンチやローレンス・オリヴィエもかつてここにいたんだから。実は2年間ボクはジュディ・デンチの家に住んでたんだよ。彼女の娘が同じクラスにいたんだ。で、下宿人になったってわけ。1年間は家賃タダで住んでた。基本的に家の管理を任された形になってたからね。あ、もちろん「シャイニング」のジャック・ニコルソンみたいだったわけじゃないよ。すごくいい経験だったよ。ジュデイの娘、フィニーとは未だに友達なんだよ。彼らはいまボクが住んでるサリー洲の家のすぐ近くに住んでるからね。でもジュディには長い間会ってないな。彼女は忙しいからね。

セントラルを選んだのは正解だった。それにオカネもかからないから。当時は演劇学校に行くのはとても費用がかかったんだ。それにボクの両親はお金持ちじゃなかったし。セントラルは職業教育のコースもあったしまさに自分がやりたいこと、職業としての俳優になるための訓練を受けることができた。もし大学に行って演劇の学位を取ろうとしたら奨学金を受けなくてはならなかったけどね。ボクたちは助成金を受けることができた。今はちょっと変わったみたいだけど。まあとにかくセントラルの学費は自分でどうにかすることができたんだ。両親には何の金銭的な負担もかけなかったよ。
 
もしセントラルで学んでなければここにこうしていなかったよ。続けていられなかったと思う。努力は続けてたと思うけど、でも普通の方法ではダメだったと思うよ。学校演劇、ユースシアター、演劇学校、そして代理人を得てウエストエンドに行き、主役を得るようになった。ボクは職を得た。こういうこと言うと厳しく感じられるかもしれないしオヤジだなって思われるだろうけどちゃんと自分の力で暮らしていけるだけの稼ぎはないといけない。演劇学校を出てすぐウエストエンドで役を得られて、でもいいように使われてすぐ干されるようになって、結局この仕事を諦めるような人たちは結局しっかりと学んでないし、その先の展望もちゃんと持ってないんだよね。「オペラ座の怪人」や「レ・ミゼラブル」みたいな大作ミュージカルは要するにビジネスなんだ、機械と同じ。彼らはただ兵士が欲しいだけ。絶え間なくね。役が欲しくてWEにやってくるひとが欲しいだけ。じゃないと生き延びることができないから。コドモたちはほんとうに安いお金でこの仕事をやる。いい経験をする、そして「俺(私)やったぜ!」と喜ぶ。でも真実は見えてない。ボクは「レ・ミゼラブル」でヴァルジャンを演じてブロードウェイでも舞台に立った。でもブロードウェイから帰ってきて約2年間仕事しなかった。BWで主役を演れば簡単に次の仕事を得られるとおもうかもしれない。でも仕事がなかったんだよ。多くのコドモたちにとってそんなことは想像つかないだろうね。最初の仕事を得られたらもうそれで世界を手に入れたような気になってしまうんだろう。

Q:そのことで自信を失くしたりはしなかったのですか?
“There was a point after that when it did.  I was auditioning but the problem was that it was the recession, shows weren’t opening; shows were closing; people weren’t leaving shows so there was nothing around.  I thought maybe it was time to give it up, I’ve got as far as I’m going to get.  I’ve moved between Phantom and Valjean for the last 10 years because people have asked me to.  When I did Phantom for the first time having done Valjean, people asked me where I was going to go next and I didn’t know because I’d kind of got there by then.  Unless new roles are written, I’m not really going to be satisfied.