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8月18日厚木市民文化会館「ミス・サイゴン」/新演出のこの舞台は本当に素晴らしかった!今はそのひと言のみ!

とっても当たり前のことだけれどミュージカルや絵画や音楽その他全ての表現芸術は個人によってそれぞれ捕らえ方が違う。感想も違う。好き嫌いも違う。1991年BW初演の「ミス・サイゴン」。初めて観た時から長い間、この作品はキライだった。以下ネタバレ含みますので何も知りたくない方はスルーしてくださいね♪         
                                                    
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なぜか?

ツイッターで、あとどこか他のところでも書いたような気がするけれどBW演出のラストが本当にキライだったのだ。つまり「タム放置 w/エレン呆然と立ち尽くす」の図。コドモを究極に悲しい目にあわせたまま終わるんじゃない!エレン!なんでそこでタムを抱っこしない?それと「欧米人のアジア人女性幻想そのままのキムキャラ設定」。ブーブリルさんたちはそんな気はなかったのかもしれない。でも超ポピュラーな「マダム・バタフライ」やベストセラー「SAYURI」なんかを持ち出すまでもなく、ある年齢以上の欧米人男子のアタマにはアジア人女性の典型的なイメージがある程度焼きついているはずだ。「男性に服従し、自己主張もしない。自分をも犠牲にすることを厭わない心優しき女性」。HA!でも今の若い世代は知らない。っていうか今の若いアジア人女性は強いし、賢い。彼らの持つアジア女性のイメージとは既にかけ離れているだろう。

今はそういうこともなくなったが(当たり前だ)若い頃はアジア女性好きの男たちから言い寄られたことが何回もある。問われるままに日本人であることを伝えたら道端でいきなりプロポーズされたこともある。エクストラの好意を受けたことも多い。NYやDCで暮らしてたからだろうがアジア人女性だからといって差別されたことはない。というか得したことのほうが多かったように思う。でもWeirdだった。そういう好意を受ければ受けるほどに。彼らが持つアジア女性への幻想を知るほどに。これはAffirmative actionの存在が鬱陶しい方の感覚と似ているかもしれない。

BW「ミス・サイゴン」の舞台。観客は圧倒的に白人が多かった。まあBWはどこもそうだけど。「ミス・サイゴン」の舞台はそんなCaucasianてんこ盛りの中で見ていた。居心地が悪かった。アジア人の顔したじぶんも舞台の上のキムやジジと同じ目で見られてるんじゃないかと。彼らの中ではすぐ側にいる私もキムと同じ「かわいそうなアジア人女性」に分類されてるんじゃないかと。

自意識過剰?そうかもしれない。でも本当に居心地が悪かった。ラストシーンで涙ぐむ周りのひとたちにまぎれていつもぶんむくれていた。エレンに同情する会話がそこかしこから聞こえてきてイラッとしてた。なんで彼女に同情できるの?なぜあの場でタムを保護しない?不満たらたら。なら見に行かなきゃいいのに。でも楽曲が好きだったので行かずにいられなかった。大好きだったのだ。

そんなわけで「ミス・サイゴン」はじぶんの中で’キライな作品’分類に入っていたので日本公演も見に行く気がしなかった。いや違う。実際にはかなり興味はあったけどあのラストを見せられるのがどうしてもいやだった。

でも新演出。オペラ座UKツアーやレミの新演出を手がけたローレンス・コナーさんが手がけた新しい「ミス・サイゴン」。プレビューを見に行ったかたから聞くとあのいやーなラストシーンの演出が変ったらしい。さらにベトナム戦争の描き方も、エレンの立ち位置も納得のいくものになっているらしい。わお!もしかしたら好きな作品に変るかもしれない。期待した。

期待どおりだった。

まず演出どうのこうのより先にキャストが素晴らしかった。エンジニアの市村さん、キムの笹本さん、ジョンの岡さん、トゥイの泉見さん、エレンの木村さん、クリスの原田さん、アンサンブルの一人にいたるまで非常によかった。同じ舞台を観たかわいい姪っ子と一緒に食事をして、涙ながらに舞台の感動を語り合って別れた相鉄線の電車内。笹本キムの色々なシーンを思い出して泣いた。あれを入魂の舞台と言わずしてなんという?アオザイをまとった可憐な姿(ついでに言うと白ぱんつ(ビキニじゃないやつね)がとっても似合ってた^_^;)。後ろ手にタムを守って銃を構える姿。コドモへの、クリスへの一途で深い愛。どうか幸せになって欲しいと誰もが思ってしまうキム。

そして市村さん。エンジニア役は長くやられているのでいまさら、と言われてしまうだろうけどこんな名演技を見てしまっていいのだろうか?「アメリカンドリーム」は圧巻だった。あれがなければラストシーンの感動も希釈されてしまってただろう。エンジニア役はジョナサン・プライスという名優がいて、私はこの方を崇拝してやまないけれど市村さんはそのレベルに迫っていたんじゃないだろうか。それくらい素晴らしかった。

岡さんのジョン。なんでこんなにジョンに自然と目がいくのか不思議だった。開演前にキャスト表を見なかったし、そもそも日本の俳優さんをよく知らない。でも岡さんが素晴らしい俳優であることはさんざん聞いてたし、昨年観たアンジョルラスは本当によかった。「Bui Doi」での彼の姿も。

ベトナム戦争。BW演出がキライだった理由のひとつがベトナム戦争の捕らえ方。アメリカは当事者だったから仕方がないかも。でもそこちがうだろーーーーって叫びたくて仕方がなかった。高校生のときにこのドキュメンタリー「ハーツ・アンド・マインズ」を見て、結局のところその頃から私のベトナム戦争の捕らえ方がそこから出ていないからだろう。長年ワシントン在住だったのでベトナム戦争について知る機会はそれはもうたくさんあったけれどキホン理解はその頃からほぼ変ってない。これについて語ると実に長くなってしまうのでやめておく。アメリカの政治ネタ語りは実は大好きなのだが。

「ハーツ・アンド・マインズ」(2010年公開時トレイラー):http://www.youtube.com/watch?v=TJDgZr2rg6M

他の方もおっしゃってたけど私も今回の新演出を見ていろんなことがストンと腑に落ちた。というかジグソーパズルの最後のピースがカチリとはまったかんじ。まあ日本語で見たのもたぶん大きい。BWでみたときは当然英語で、歌だけでなく合間に入る言葉にひっかかることがとても多かったので。日本語版にはそれがなかった。

ミス・サイゴン」といえば真っ先に思い浮かぶヘリコプター。ベトナム戦争を扱った映画なら必ず出てくる象徴ともいえる存在。中でもFフォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」は有名だ。「ワルキューレの騎行」が使われてるシーンね。今回の新演出では使われていない。いや正確には使われているけれど舞台上には存在していない。映像が使われている。もの凄くリアルなものが。BUI DOIのシーンで使われる子供たちの映像もそうだ。このシーンは最後のキムの決断を観る者に納得させるために非常に有効だ。「なるほど、だからキムはタムをアメリカに行かせたかったのね」と思う仕掛け。

「夢の国アメリカ」。かつて日本も含めアジアの国のひとたちはそう思っていた。アメリカ人たちもそう思っていた。「アメリカ・イズ・ナンバーワン」があちこちで叫ばれ、「こんないい国に来たくないひとなんていないだろ」と彼らが思ってたころ。87年のブラックマンデーくらいまでか。「ミス・サイゴン」に登場するアメリカ人ってそういう感覚に満ちてる気がしてた。
 
私自身はアメリカという国が好きだし、永住権も持っている。この数年のうちには小さな拠点をつくりたいと思ってるくらいだけど、↑に書いたようなぶぶんは正直言ってfed upしてしまう。まあサイゴンが書かれた80年代末から今では相当事情が変わったのでそんなにオメデタイ発想を持つアメリカ人も少なくなっている。なのでまだいいけど、私が今まで「ミス・サイゴン」をキライ分類に入れてたのはこの発想を至る所に感じたからだ。当のアメリカ人にとっては全くひっかからないだろうけどアジア人で、さらに多少アメリカ現代史と政治を学べば、そういうぶぶんに多少の嫌悪感を持つのは仕方ないだろ、と思う。まして戦後の日本の状態を克明に記録したGHQの膨大な資料のリサーチとかもやってたしね@私。

話が飛んでしまった(いつもか)。何が言いたかったかというと要するにこういう思いを持っていたのにも係らず、今回の新演出では全くその辺りが気にならなかったのだ。なんかするりと納得させられちゃったかんじ。細かく挙げればいろいろ要素はあるんだろうけど(サイゴンの陥落というかホーチミンになったとこの演出とか最後のヘリが飛ぶときの混乱の様子とかジョンのよいひとっぷりとかトウイ切ないとかキム強いぞ、ナイスとか)、正直言ってよくわからない。よい舞台を観たときはいつも「とにかく感動した!」としかいえなくなるのでどーもすみません^_^;
 
この舞台はぜひ再見したいと思う。青山劇場は完売なので、地方遠征しか手はないし、来月下旬からまたニューヨークに行くつもりなので予定が決められないからかなうかどうかわからないけど。いやー本当にこの「ミス・サイゴン」は素晴らしかった。キライだった作品を大好きに変えてくれたこの舞台に係る全ての皆様、本当にありがとう!