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「RENT」を思い出してみた

昨夜、夜中に目が覚めて寝られなくなったのでDVD「RENT」を観た。その前日にSさまのお宅で話題にのぼっててたので本当に久々に思い出して観たのだが、なんだか泣きたくなるような気持ちになってちょっと困ってしまった。「RENT」は1996年(だったよね、たしか)BW初演のミュージカルで、映画化もされた。舞台はオフブロードウェイから始まって、BWに移って2008年に終演。今はツアーとかで観ることが可能なようだ。
 
詞・曲・台本の殆ど全てを作ったのはジョナサン・ラーソン。彼は既に伝説になっているが、NY郊外のホワイトプレーンズ生まれで、幼い頃から舞台好きの両親に連れられて、ミュージカルに親しんで育った。ミュージカルを心から愛し、その世界で生きていくことを選び、1990年頃から6年かけて「RENT」を作り上げ、やっと完成にこぎつけたものの、上演を目前にしながら亡くなってしまった。本当に開幕直前の死だった。死因は循環器系の疾患だが、エイズを患っていたという。
 
「RENT」の舞台になった1980年代後半のニューヨーク。不況の真っ只中の時代だった。街は汚くて、ホームレスがいっぱいいて、夜道なんてとても歩けなかった。今はおしゃれなお店やギャラリーもある東側ダウンタウンの外れ、アヴェニューAから先の辺りなんて「足を踏み入れたら死ぬよ。」と言われていたし、同じく今は映画やドラマの舞台にもなっているウィリアムズバーグ橋の下のおしゃれエリアは黒人とユダヤ人の抗争の舞台だった。チャイナタウンはマフィアが暗躍し、地下に網の目の様に張り巡らされてるという通路の存在がまことしやかに語られていた。
 
私が初めてニューヨークに行ったのもその頃だった。ジュリアーニの徹底したクリーン作戦と地価高騰のおかげで今ではNYのどこかしこもオカネモチが大手を振って住むようになって、観光客がどこでも安全に歩ける街になったけど、当時のニューヨークは全く違っていた。勿論アッパーイーストのエスタブリッシュメント層は変わらずあの街に君臨していたけれど。
 
そんな彼らが絶対に足を踏み入れることはなかったイーストヴィレッジ。このエリアには売れない芸術家やミュージシャン、そのとりまき、いわゆる「イーストヴィレッジボヘミアン」と呼ばれるひとがちがいっぱい住んでいた。古いレンガつくりのビルが並ぶストリート。ビルの前の階段に座り込んだ若い子たちがおしゃべり興じ、ピンクや緑の髪で顔中にピンが刺さってる子や、身体にボロ布巻いてるだけの子がその辺を歩いていた。崩れかけたビルの奥では酒盛りで盛り上がり、路上では自称アーティストたちが手づくりのアクセサリーや自作の絵を売って生活費を稼ぎ、路地ウラではドラッグディーラーが商売に励んでいた。東欧からの移民家族がファミリーレシピのスープやパンを売り、自然食のレストランが繁盛していた。今でもイーストヴィレッジは若者で賑わう街だが、当時はもっと違うテイストを持った、所謂ディープな街だった。
 
私の敬愛する詩人/ロックシンガーのパティ・スミスは既にこの街を去っていたけれど、「CBGB」も「マクシズ・カンサズ・シティ」もまだ健在だった。1980年代も終わろうとしていたのに、この一角だけは60年代をどっぷりと引き摺っている、そんな雰囲気に満ちた街だった。一緒に行った友人の友人がこのイーストヴィレッジに住んでいたので私も一緒に泊めてもらったのだが、初めてこのエリアに足を踏み入れた途端、不思議な緊張感と空を突き抜けるような開放感に包まれた。
 
なんという自由な街、そしてここにいるひとたちは何てかっこいいんだろう・・。
 
当時、外資系企業に勤めててバブル期の東京でチャラい生活をしてた私にとって、それは本当に大きなカルチャーショックだった。この街にいた数日間、ひたすら歩き回った。ジーンズとスニーカーで観光もせず、イーストヴィレッジのひとつひとつを見逃したくない、とばかりに歩いて回った。次の目的地ニューオーリンズに着いてからも、ずっとニューヨークの街のことを考えていた。結局このときのNY滞在を機に東京での生活、恵まれた仕事その他一切ほっぽってアメリカに移り住むことになったわけで、80年代後期のニューヨーク、つまり「RENT」で描かれた世界は私の人生にとても大きな影響を与えた。
 
「RENT」で描かれた世界、あれはNYの街で生きる、夢をひたすら追いかけて頑張ってる若い子達へのエールだったと今でも思っている。ジョナサン・ラーソンはあの街に根を据えたイーストヴィレッジボヘミアンの一人として生きてたはずだから、彼の周りにはあんな子がいっぱいいたはずだ。設定は違うかもしれないが、「RENT」の中で彼が描いたキャラクターのモデルは実際に彼の周りにいたはずだ。当時SOHOに住んでいた私の周りにもいた。どうにもならなくなって死んでしまった子もいた。死にたくなんかなかったはずなのに・・。
 
今、DVDで観る「RENT」には彼らの姿は見えない。でも私は思い出すことができる。オフでの上演のあとBWに移ってきたばかりの舞台を観た観客の熱狂ぶり。拍手も歓声も長いこと止まらなかった。あの観衆の中には劇中に登場するキャラクターと同じようなひとが身近にいたのではないか、そして心の中でエールを送っていたのではないだろうか。
 
「私も大変だった、でも頑張った。そしてここまで来た、だからアナタも頑張って!」と。
 
夜中に「RENT」を観ながら、ずっとず~っとそんなことを考えていた。