今日も明日もJOJさんとか色々と

ジョン・オーウェン=ジョーンズさんをLove&Watchしてます。その他のネタも多し。

2001年9月11日から10年が過ぎた/Thinking of September 11, 2001

その部屋はSOHOの目抜き通りW・Broadwayにあった。最寄り駅はCかEラインのSpring St.かNかRラインのPrince St.駅。どちらの駅からも徒歩5分くらいのところにあった築100年を超える古風なビル。
 
すぐ近くには当時の有名美術商、メアリー・ブーンの画廊があった。ビルの壁面には凝ったモルディングの装飾が施され、NYではおなじみの鉄梯子がかかっていた。この街によくあるアパートビルディング。内側のドアの側には部屋番号が書いてあるブザー。来客はそれを押して到着を知らせ中から開けてもらう。2重になった鍵を開けてロビーに入ると左側にはポスト、通路の奥にはスーパーインテンデントのオフィス。配水管のつまりやエアコンの調整、時には大きな荷物を運んでくれたりするスタッフが詰めていた。
 
真ん中が磨り減った階段、大理石でできた手すりは色がすっかり剥げ落ちている。二階へ上がるとすぐ側にあった天井が高い堅固な板張りの部屋。寝室ひとつにリヴィングと大きな古いオーブンのあるキッチン、黒白タイルのバスルーム。会社の同僚が借りていた部屋を引き継いだのだが、友だちは皆、「何てラッキー。NYでまともな部屋を探すのは至難の業なのに。」と言った。
 
あのころ、どのように一日を過ごしていたのかもうはっきりとは思い出せない。でも平日は会社勤め、週に2回NY市立大学で夜の授業を取っていた。残りは大量の宿題をこなすか、遊びに出かけていた。かなり頻繁に深夜というか明け方までわいわい騒いでいたような気がする。NYの街の隅々まで知りたい、色んなひとと知り合いたい、そんなふうに思いながら毎日を過ごしていた。ライブハウスもBWもメトロポリタンオペラハウスにもオフBWにもしょっちゅう行っていた。安い席ばかりだったけど。パーティにもいっぱい行った。ギャラリーのオープニングやクラブやロフトでのイベント、全然知らないひとのプライベートパーティ等々、怪しげなお酒や煙が充満してたあの場所、誰もが簡単にイメージできるNYの風景。
 
オフィスはロックフェラーセンターにあったので毎朝8時にアパートを出て、Spring St.駅まで歩き、W4th駅で乗り換えてBかFラインでロックフェラーセンター駅まで行っていた。朝ごはんは大抵地下鉄駅の近くのスタンドでベーグルとコーヒーとバナナを買っていき、オフィスで食べていた。同僚のBがそんな私を見ていつも言っていた。「M、無駄遣いはダメよ。チャイナタウンで買ってくればうんと安いんだから。Save Money!」
 
台湾からやってきたB。中西部にある大学の院を終えたあと、NYに出てきた。NYにやってきたとき、現金を殆ど持っていなかったという。「マドンナと同じよ。彼女もNYに来た時、ポケットに20ドルしかなかったんだって。」
 
同じ台湾人の夫Jとクイーンズのアパートに住んでいた。グランドセントラル駅から7番に乗っていく中国系住民が多いエリア。Jは当時博士課程在学中。Bが働いて生活費をかせいでいた。ある日食事によばれて彼らのアパートに行ったら、キッチンにはダイニングテーブルがなくて、床にトレイを置いて食べた。
 
Jが調理してくれた生姜をたっぷり利かせた魚料理。Bが言った。「先月はやっとベッドを買ったの。再来月になればやっとダイニングテーブルと椅子が買える。その頃また遊びに来てね。」魚を器用に取り分けながらJも続けた。「もうすぐ博士論文のめどがつくんだ。学位を取ったらウオール街で働く。うんと給料の高い金融会社でね。借りた学費を返して、Bと一緒に一生懸命働く。そしてロングアイランドに家を買うんだ。台湾から両親が来ても泊まれる部屋もあるような大きな家。子供は2人。女の子がいいな。車はもちろんポルシェ。それが僕らの夢なんだ。アメリカンドリームっていうやつ。7年間この国で一生懸命勉強してきた。アッパーイーストで掃除夫のバイトをしながらいつもそのことばかり考えていた。あともうすぐなんだ。僕らは必ず手に入れる。」
 
W・ブロードウェイの私のアパートからは聳え立つWORLDTRADE CENTER がよく見えた。毎朝、ドアを開けて通りに出て左を向くと2本の銀色のビルが朝日の中できらきら輝いていた。朝も夜も飽きもせずうっとりと眺めて、そしていつも思っていた。「何てきれいなんだろう。色々大変だったけどNYに来られて本当によかった!この光景は私がこの場所を去っても永遠に続いていくんだろうな。」と。
 
でも2001年9月11日、その光景は永遠にニューヨークの街から消えた。数千人の命とともに。私の友人もそのうちの1人となった。WTC高層階にオフィスがあったJ。久しぶりの再会で長年の夢をかなえたよ、と笑顔で語っていたJと傍らで微笑んでいたB。まだまだ続くはずだった彼の人生はある日突然終わってしまった。Bと2人の子供と母親が待つ、ロングアイランド瀟洒な家に二度と帰ってくることはなかった。
 
毎朝、眺めていたワールドトレードセンター。あの美しいビルに突っ込んだジェット機。高層階から飛び降りたひとびと。数千人を呑み込んだまま崩れ落ち、瓦礫と化したアメリカの栄光。あのときのことはたとえ10年が経過しても決して忘れることはできない。たぶんこれからも忘れることはないだろう。